Global Family Navigator NAOKO STORY①表現に苦しんだ中国留学時代!「語学」ができるだけでは何の意味もない。 自分で「考えて」「表現」する力が何よりも必要
私は親の仕事の関係から、
幼少時代をアメリカと中国で過ごしました。
と言うともしかしたら、格好よく聞こえてしまうかもしれませんが、
アメリカは0歳から4歳までで、殆ど記憶になく、物心ついた時から、英語については元々「苦手意識」の塊でした。
中国では日本人学校に通っていた為、周りにいる人、価値観は「日本」という環境でした。
海外にいる日本人は、住んでいる場所も固まって暮らすので、
いわゆる「日本人村」の中で過ごしており、
ある意味、日本にいるよりも「日本」だったのかもしれないと
今振り返れば思います。
小学6年生で帰国をして、
中学校は国立の学校に「帰国子女枠」で入学。
ただ、「日本人村」で過ごした私にとって
確かに海外にはいたけれど、
海外のこと良く分からないのに帰国子女と言えるのかな?
という気持ちを幼いながらにもやもやとした気持ちを抱いていました。
中学3年生の時には、いわゆる日本の受験戦争を経験し、
日本の中では一応有名大学の付属高校に入学。
その高校に入学をすれば、みんな大学にエスカレーター式に入れる状況。
当然、高校時代、ちゃんと勉強をする人はほとんどいませんでした。
恥ずかしながら、高校時代、「何かを真面目に考えたり、表現をした」経験はなく、
なんとなく授業を受けて、なんとなく部活をして、なんとなく定期テストを受けて、
なんとなく大学に入学をしたというのが実情です。
また家に帰れば、(今は既に離婚をしている)親の愚痴を聞くような状況でした。
「親子のコミュニケーション」について深く研究している今、振り返ってみると、
家庭の中でも、何かを考えたり、表現したりする「会話」をしてこなかったと思います。
父親の仕事が資格職だった為、仕事を得る為には、「資格」を持つ方がいいというイメージもありました。
大学に入学後も、自分が本当にやりたいことも明確ではないまま
会計関係の「資格」の取得の勉強をしていました。
しかし、人生の目標がないまま「学ぶ」ことは、非常に効率が悪く、
あまり身に入らない状況が続いてました。
そんな時に、たまたま大学内で仲良くなった外国人のお友達と過ごすことが増えてきました。
大学が留学生の受け入れを積極的に行っている大学だったことは、有難かったです。
そこで、彼ら彼女らは日本のことを沢山学んでいるのに、
帰国子女の私は、海外のことをよく知らないなと、恥ずかしくなり始めました。
そして私もせめて、自分がいた国のことぐらいは知りたい!と思うようになり、
記憶がより鮮明な「中国」に行くことを決意し、
たまたま大学が提携を結んでいた復旦大学を留学先として選択しました。
参加した留学プログラムは、
2つの大学の卒業資格を同時に取得ができる「ダブルディグリー・プログラム」というもの。
「新聞学院 伝播学」という「コミュニケーション」について専門的に学ぶ学部でした。
今でこそ参加する日本人は沢山いるようですが、私の時は、私1人での参加でした。
そしていよいよ留学生活がスタート!
前年に、1か月の短期留学はしていたので、生活のイメージはできておりました。
中国語も、留学を決めた時から、毎日猛勉強して、留学前に既に旧HSK8級までレベルを上げて挑みました。
ただ、すごく苦労をしたのが、
中国の授業は、「発言」や「プレゼンテーション」の機会が非常に多く、
今までの日本の教育で、そんなことをしてこなかった私にとっては、大変難しい試練でした。
先生から質問があると、みんな手を挙げて発言するのを
横目で見ながら、「すごい・・」と思う日々が続きました。
「語学」ができるだけでは何の意味もない。
ちゃんと自分自身で「考えて」「表現」する力が、何よりも必要なのだということを思い知りました。
そこから、中国の学生の力も借りながら、
一緒にプレゼンテーションを行ったり
一緒に旅行をして、お互いの国のことを話し、
お互いの考えをシェアしたりしながら、
少しずつ「考えて」「表現する」力を培っていきました。
Welcome to this family journey to shine yourself here!
Hope you find some great wisdom here!
Love,Naoko
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